クソゲーとして名高い「ファイナルソード」をやりたいと言い出した小学生の息子。果たしてどのような結末を迎えるのでしょうか…
ファイナルソードは、その独特なゲーム性から『クソゲー』や『バカゲー』として話題を集めている「ストーリー重視」(公式HPの紹介文ママ)のRPGです。
小学校6年生の息子が何を思ったかこれを購入し、果敢にチャレンジしましたのでそのレビューを綴ります。
「なんか君、顔が違くない?」
普段はエイペックスやフォートナイトを嗜むフツーの小学生。
ゲームボーイで白黒スクロールに慣れ親しむ筆者世代と異なり、息子が初めて触れたゲーム機はswitchというまさに新世代であります。
そんな息子がPlaystation5でファイナルソードを始め、何やら衝撃を覚えている様子。
「え…なんか顔、サムネと違くない…?」
息子が言う「サムネ」(YouTube世代なので息子はサムネと呼称するが、パッケージ写真のこと)↓
「…え?そんな違う…?どれどれ…」
「まあ…まあ…あの、顔が違うのはこの際いいとして。異様に肌が白すぎる気が…病気なのかな?しかも、ここから表情が一つも変わらないけど…?」
PCゲームの高グラフィックに慣れている息子としては、かなりの衝撃を覚えた様子。
令和のPlaystation5で、こんなグラフィックがあって良いのか。
ゲームボーイ世代の私ですら、「これならゲームボーイのグラフィックのほうがいっそ良い」と言えるレベルの不気味の谷。
「まあ…でもストーリー重視って言っているぐらいだし、ストーリーが面白いのかもよ…」
「そうだね、やってみる!」
健気な息子は気を取り直して、プレイを進めます。
思わぬ効用
息子は黙々とストーリーを進めます。
珍妙すぎる日本語、不自然かつ唐突な展開、感情移入できる人物が皆無、Wordみたいなダサすぎるフォント、当たってるのに当たらない当たり判定、ぎこちないレゴ仕様のモーション、虚無感しかないレベル上げ作業……
プレイして数時間が経ち、無音の中ちゃぷちゃぷ音が響き渡るシュールなボス戦で謎当たり判定による幾重の死を乗り越えようやく倒したあたりで、息子はついに気付きました。
「………クソゲーじゃね?」
ついに気付きました、ファイナルソードがクソゲーだということに。
「マジで…ちょっとイライラして頭がおかしくなりそう…」
かなり疲弊した様子の息子に「休憩したらどうかな…?」と私。
「うん、おやつ食べよ。あ!やべー宿題やってね!!やらなきゃだーうわ~~やだな~」と、ドーナツを片手に、嫌いな漢字の書き取り練習に取り組むことに。
息子、漢字の書き取りのときはイライラして「うおー!!」と叫ぶのが定番。なので、こんなイライラするゲームの後に大丈夫なのか…?とさらに心配になる私。
ただ、これ以上あれこれ口をはさむとキレられるため、遠くで家事をしながら見守ることに。
時間が経つこと30分。
……あれ?なんか静かだな?
「お母さん!!すごいことに気付いた!!」
え?
「クソゲーより、全然宿題の方が楽ということに気付いた!!!全然、漢字が苦に感じないけど!?サクサクで終わったけど!?」
なんと、ファイナルソードをプレイすることで、ストレス耐性がついたようです!!
これは凄い。まさかクソゲーをプレイすることにこんな教育的効果があるとは。
「やべー!俺すごい大発見しちゃったかも!クラスのみんなにファイナルソードおすすめしちゃおっかな!!」
衝撃のラスト
そんなこんなで、クソゲーとわかってからはその楽しみ方を理解した息子。
あらゆるゴミ要素に対して全力でツッコむことで笑いに昇華します。
その余勢を駆って、宿題もスムーズに終える日々を過ごし…
プレイすること15時間…
ついにクライマックスへ突入!
息子「やった~~ついに終わる~~~~!!!!」
しかし、運営元のゲーム会社のSNSによれば、衝撃のラストについては詳細を語ることは控えてほしい(お願いベース)とのことですので、ここでは画像のみを数点貼り付けることで、ストーリーは語らず、どうにかこのゲームが迎えるラストのすばらしさの片鱗を感じてほしいと思います。
総評
ファイナルソードは説明するまでもなく、愛されるべきクソゲーです。
しかし、クソゲーをプレイするには、並々ならぬ覚悟を要します。
お客様気分でプレイしてはなりません。
少し話がそれますが、私は不動産投資において心がけていることがあります。
「不動産業者に対しては、お客様気分でヘラヘラと文句を言いながら臨むのは厳禁、常に主体的に対等な立場で誠実に交渉する」。
実需不動産であれば「お客様」の立場で構いませんが、投資用不動産を買うならばあくまで「投資家」の立場で臨むべきです。
一定の金融・不動産に対するリテラシーを持ち、対等なプレイヤーとして参加してこそ、初めて「投資家」と言えます。
これは普通のゲームとクソゲーに対しても同じことが言えると思います。
普通のゲームは「お客様」感覚で楽しめばいいと思います。
しかし、もしクソゲーをプレイするのであれば、求められるのはクソゲーに対する一定のリテラシーです。
ゴミ要素についてイチイチ文句を言うのであれば、それはクソゲープレイヤーとして失格。
プレイヤーとしてこれらを全てエンタメとして昇華できるスキル、姿勢、哲学が必要となります。
ワンランク上の玄人としてこのゲームを楽しめたとき、自身の精神的成長を感じられるはずです。
私の息子のように……。
間違いなくこの運営は「クソゲー」を狙い、「クソゲー」を愛する玄人に向けて制作していると私は思いました。
というか、これが一定の質が担保された楽しい良ゲーを目指した結果とは信じたくありません。
良ゲーを目指した結果がこれであるとすれば、人様が汗水流して稼いだ大切なお金をいただく会社として、必要最低限の倫理観を欠いていると言わざるを得ません。ほんとに。
息子に最後にファイナルソードをプレイした感想を聞きました。
「もう二度とやらない」
それでは、みなさん、さようなら…