結論:新聞、テレビ、教育、行政、ビジネス……現場ごとに権威ある人がルールとして便宜的に決めているだけ。国が決めているのは「常用漢字」「公用文作成」など主に教育と行政の場面における一定のルールのみ。
えっ。国文学の学者さんが研究して、その意見を聞いて国がバシッと一律に決めているんじゃないの?
いえ。もし国文学界隈で「正しい日本語はかくあるべし」と語り始める人がいればかなり白い目で見られます。
学者間では、「言葉はツールである以上、使い勝手のよい方へ進化し、使われない言葉は自然淘汰される流動的なもの」であることは常識。
例えば「若者の言葉の乱れ」を指摘する年配の方は多いものですが、それでは古き良き平安時代の古文が正しい日本語かといえばそうではありません。次に「では、いつ時点の誰の日本語が正しい日本語なのか?」と考えれば、おのずと「確かに正しい日本語というものは存在しない」ということがスンナリ理解できるかもしれません。
では言葉について考える方々が追求していることは何でしょうか。それは「正しさ」ではなく「伝わりやすい日本語」です。
伝わりやすい日本語は、媒体によって異なります。
新聞では限られた紙面で読みやすく統一された用語を整理する「記者ハンドブック」、
NHKではイントネーションや用語を整理する「NHK日本語発音アクセント辞典」、
教育現場では文化庁が研究して定めた「常用漢字表」「現代仮名遣い」、
行政では万人の分かりやすさより正確性に重点を置いた「公用文作成の考え方」、
ビジネスではビジネスマナー講師がそれぞれ研究した、相手が不快に思わないレベルの最大公約数的なビジネスマナー用例など…
正しいと思われる辞書ですら、各社で見解が分かれている用語を多く含んでいます。
それぞれの現場の特性に合わせて、一定のルールが定められていますが、いかなる場面でも万人に通用する「正しい日本語」は存在しません。