雑記

「さらば青春の光」はブロマンス芸人と言っていいのかどうか。

さらば青春の光

超にわかにもかかわらず、言語化しないではいられない性分のため、恥ずかしげもなくメモ。
まったくお笑いに興味のなかった、不動産好きの元公務員という堅物の私が、最近になって「さらば青春の光」にハマっています。
純粋にネタだけで好きになっているわけではなく、何よりも彼ら二人の間にある厚い信頼関係に心を打たれました。
ビジネスライクな日々を送るサラリーマンには特に刺さるのではないでしょうか。
ラヴィットの東ブクロから森田に宛てた手紙では、本当に胸が熱くなりましたね。。

この気持ちが、ブロマンス?

私のこの気持ちを表した単語が絶対にあるはずだと検索した結果、ある単語に出会いました。
「ブロマンス」です。

ブロマンスとは?
brother(兄弟)と romance(ロマンス)のかばん語(混合語)
2人もしくはそれ以上の人数の男性同士の近しい関係のこと。性的な関わりはないものの、ホモソーシャルな親密さの一種とされる
(Wikipediaより引用)

BLは男性同士の友愛関係の中でも性的な関わりを持つ関係を指すことが多いですが、ブロマンスはBLより広く範囲を捉えているようですね。
「ネタももちろん好きですが、何より森田と東ブクロのコンビ愛が~」みたいな話をすると、「え、あんた腐女子なのか?」みたいな扱いされますが、わたしはBLは苦手なので……まさにこれだと。ぴったりな言葉です。
(ちなみにブロマンスの女性版はロマンシスというらしいです。)

さらば青春の光に見られるブロマンス要素

さらば青春の光におけるブロマンス要素を例示したいと思います。

結成エピソード

まず、さらば青春の光結成エピソードからもうブロマンス感が溢れでています。
元々、松竹の養成所時代から、年上の森田は東ブクロを可愛がっていたとのこと。
元々それぞれコンビを組んでいましたが、東ブクロが森田のお笑いのレベルの高さに惚れ込み、自分とコンビを組んでほしいという長文の口説きメールを送信。(「同意書より長いメールやった」という森田さんの鉄板ネタですね)
自身のツッコミ力の高さをアピールするほか、なんと最後には「僕と組んでくれなければ僕はお笑いを辞めます」という殺し文句。
森田は面倒見良い兄貴肌なので、可愛い後輩からそう言われたら組まざるを得なかったのではないでしょうか。
キングオブコントに向けて、お試しで組んだコンビだったらしいですが、その後の活躍は言うまでもなくですね。

【インタビュー】さらば青春の光・森田哲矢 「お笑い第7世代には侵されない領域 〜俺らは楽しい方を選択する だからできる仕事がある〜」 | マーキャリメディア

さて、このエピソード、どうですか?
早速、ブロマンス力が高すぎませんか?

そもそも、ブロマンスが生じやすいんだと思います、お笑いコンビって。
少し話がそれますが、私が事業を始める際に親から口酸っぱく言われたことは「誰かと組んで事業を始めるな」でした。やるなら一人株主、一人社長で。信頼できる誰かを見つけても、従業員とすること。なぜなら、株式を五分五分にし、決定権も同様に分けた場合、二人の意見が対立すると方針が定まらず、事業が失敗するリスクが増すためです。

その点、お笑い芸人は、非常にハイリスクなことをやってますよね。二人(ないしは複数人)で事業を開始するわけで、その成功は相方の能力に大きく左右されます。事業の成功率と相方選びの間に非常に密接な相関関係があるといいますか。要するに、相方によって自分の運命が決まるわけです。まさに一蓮托生。

結成後、2度の相方のスキャンダルによって振り回された森田さんですが、相方を捨てるどころか、むしろそれすらもチャンスに変え、メディア露出していく手腕は社長としてお見事です。

こう考えると、結成時には相手に対するリスペクトと信頼が必須であり、お笑い芸人という職業自体、元々ブロマンス要素が生まれやすい土壌なのだと感じます。

東ブクロの魅力について語る森田

東ブクロが森田に惚れ込む形で、ついに実を結んでコンビ結成。
ですが、段々と相方に対する想いを強めてきたのは、むしろ森田のほうだったのではないでしょうか。

9:24で語られる東ブクロの魅力

まずこのYouTubeで森田さんが9:26あたりから東ブクロの魅力について語るのですが、この箇所のリプレイ回数を示す波の高さがもう……。みなさん、何度もリプレイしているんでしょうね。わかります。もうここでは文章化しません。みなさん、見てください。

「こいつと触れると変に」なったうちの一人、森田さんです。

他にも動画があるので、後で追記します。

裏さらばが醸し出すホモソーシャル感

裏さらばが醸し出すホモソーシャル感がブロマンスにブーストをかけている話。
ここも、あとで追記します。

ブロマンスに対する抵抗感

ただ、さらば青春の光のようなコンビ愛を「ブロマンス」と表現することに対して、自分の中で多少抵抗感がある気がしました。
この抵抗感は何なのか、言語化していきたいと思います。

ブロマンスの先にBLがちらついてしまう

私はブロマンスという言葉に出会って、そのとおりだ、と膝を打ったのですが、
どうしてもブロマンスって、「ロマンス」という言葉が含まれているせいか、延長線上にBLがちらつく言葉なんですよね。

BLを差別する気は毛頭ないのですが、個人的にはハッキリ言ってBLがめちゃくちゃ苦手なので、そことは一線を画して表現したいという気持ちは多少あります。
ブロマンスの単語の説明した後、絶対に「BLとは違うの?」って質問がきちゃうくらい、紛らわしい概念なので。

そうなると、ブロマンスというより「コンビ愛」でいいのでは?という気もしますよね。

でも「コンビ愛」では足りないというか、ライトすぎる表現なんですよね……。
感覚的には「ブロマンス」と「コンビ愛」の間に位置するような単語の爆誕を望みます。

レベル感的には会社の同僚の前で発言しても恥ずかしくないような、かつ説明も必要ないくらいの良い塩梅の単語で……。

やはり「コンビ愛」が無難なんですかね……。妥協して。

そもそも、「ブロマンス」とかって単語ラベルを貼り付けてカテゴライズする行為自体が、かなり排他的といいますか。
なんか言葉の響き自体に「一般ピーポーと違う何かを感じちゃう私たち」感が出ちゃいますよね。
結構、みんなもよく抱く一般的な感情だと思うのに。
排他的なニュアンスを出さないためにも「コンビ愛」という普遍的な単語で収めておいたほうが良いのかもしれない……とも思ったりします。

純粋にネタで愛せ、という風潮

もう1点、抵抗感を感じた理由としては、ネタ以外の邪道な方向から好きになってしまっていいのだろうか?という個人的な葛藤です。
実際、お笑い芸人を語る際に「お笑い芸人は純粋にネタで評価するべき」という批判をよく見かけます。
「女ファンはどうせBL的に見てるんだろ、キモイからお笑い界隈に入ってくるな、汚れる」という過激な発言も散見されます。


はじめはこの意見を聞いて「そうかもしれないな」と感じました。
どう考えても正統派は「芸人の本質的価値はネタなどの技術にある派」の派閥だと、確かに思います。
ただ、「あれ、なんかこの感じ、既視感があるな」とも思いました。
文学批評のときにも似たような話があったんです。


文学批評では、「伝記的批評」と「ニュー・クリティシズム」などの対立軸でしばしば相剋が見られます。
その作者の人生や性格が作品にどのように影響を与えているか、という観点を含めて解釈するのが「伝記的批評」、逆に作品そのものを独立した存在として扱い、テクストそのものの言語や構造を徹底的に分析する手法を「ニュー・クリティシズム」といいます。ほかにも「読者論」などさまざまな分析手法がありますが、ここでは省きます。
重要なのは、文学を解釈する際、どの立場に立って論じたとしても、正解も不正解もないということです。

文学とお笑い芸人も、その意味で同じだと私は考えています。

つまり、お笑い芸人を好きになるとき、その芸人の人格・関係性など背景を含めて好きになるか、ネタそのものを好きになるか、それは人それぞれで良いじゃん、ということです。そこに正解はないと、個人的には思います。

さらば青春の光をブロマンス的に好きになってしまった自分を、自虐的に言う女性も多いように思いますが、そこまで卑下しなくてもいいのではないかと、わたしは思ってしまいます。

むしろ「いや、私はさらばのネタが好きだから」と頑なに言うのって、アイドルオタクが「いや、俺は純粋に曲を愛しているから」と言うのと同じ無粋さがあるといいますか。そんなわけないだろっていう。いやいや、みんなわかってるからっていう。
さらば青春の光が好きなのは、「正直に言って森田と東ブクロのコンビ愛(ブロマンス)に胸打たれるからだ」ともうハッキリ公言してもいいのではないでしょうか。
現にザ・森東もそれをわかっててプロモーションしている気がします。
「これがファンは喜ぶんでしょ?」と言わんばかりの「東ブクロが語る森田の魅力」的な動画をホイホイ供給してきますから。


そして喜んでますから、ファンは実際。

  • この記事を書いた人

もののかほり

紆余曲折あって今は幸せな生活を送る30代。 血と汗の染み込む土地で禄を食みながら、境界知能・発達障害の息子と転げまわる毎日。 賃貸不動産経営管理士/2級ファイナンシャル・プランニング技能士/日本証券業協会 ニ種外務員資格

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